手前に小さな弁天様のある島があり、その奥が仙酔島です

「平成いろは丸」に乗って仙酔島へ向かいます。
「いろは丸」とは、イギリスで建造された船で、1863年に薩摩藩が、武器商人グラバーから安行丸として購入。
それを薩摩藩士五代友厚がポルトガル人に売る。
さらに維新時代の錚々たるメンバーの関与した紆余曲折があり、坂本龍馬ら海援隊の操船により、大坂に向けて長崎を出航。
ところが、瀬戸内海を航行中に紀州藩の船と衝突して積荷ごと沈没!という「いろは丸沈没事件」を起こすのです。
龍馬と紀州藩による折衝が行われ、紀州藩が積荷代に相当する賠償金8万両(164億円)、減額されて7万両を土佐藩に支払い、さらに坂本龍馬に渡される筈だったそうですが・・・その前に暗殺されるという・・・・なんとも歴史の真っ只中の事件でした。
紀州の船が修理のために曳航されて、賠償交渉が行われたのが鞆の浦だったそうです。 実際は火薬や銃火器は積まれていなくて、龍馬のハッタリだったというのも龍馬の人となりを再認識するところで面白い点です。 案外、暗殺の原因はこの性格とお金なのかも・・・?と想像したりしてね^^

港の「雁木」 潮の干満に関らず船着けできる石階段
ここ鞆の浦は「崖の上のポニョ」にもあったように、」とても潮位変化が大きいそうです。
かなり埋め立てられて、残っているのはわずかなようです。

さて、前夜泊まった宿が見える中、仙酔島へ向かっています。

仙酔島、鞆の浦に行くまで知らなかった島です。行ってみたら、「ブラタモリ」で取り上げられても良いほどの素晴らしい地形の島でした。

船着場からすぐに面白い岩が・・・

こちらは断層。
島の周囲の遊歩道を歩くだけで、断層があちこちで見られます。


ここは日本では唯一この「仙酔島」にしかないとされる「五色岩(ごしきいわ)」
地球のマグマが隆起して地上に突出した、青、赤、黄、白、黒の岩が延々と1kmに渡って続いています。

この島は地質学的なエネルギーに溢れたパワースポットだそうです。タモリ気分でぶらぶら歩きします^^

島内にいくつかハイキングコースがあるのですが、短時間で往復できるらしい烏の口展望台に向かって歩いてみました。

夏の海水浴シーズンでもなく、ほとんど人が通らない感じの道を登ります。

初願成就の岬、烏ノ口からの展望です。


下って、来た道をたどって戻ります。
途中にあった岩の凹み


仙酔島には国民宿舎と「ここから」という宿もあり、温泉もあるのですが、遊歩道で話をした若い人たちオススメの「江戸風呂」に入ってから、また平成いろは丸に乗って鞆の浦に戻ります。




午前中だけで駆け足で巡った仙酔島でしたが、まだ見たりなくて、時間があれば一泊してのんびり回るのも楽しそうでした。
近ければ海水浴には絶好の場所ですね。
*人生感が変わる宿「ここから」という宿にある名物「江戸風呂」というのを体験したのですが・・・江戸時代のお風呂を再現した洞窟蒸し風呂ということです
半袖短パンに着替えて、3種類のハーブや海藻を炊いた天然サウナと海水より濃い塩水の胎内風呂や薬湯風呂に、順番を決められて交互に入るのです。
特に、最初のサウナの後は海辺に出て砂を歩いて海に入る・・・さすがに2月のこれは無理で足先だけちょこちょこと入って最後に館内のお風呂でゆっくり温まりました。
サウナは好きではないし、最初はエーッ!という感じですが、楽しんでしまおうと・・・初体験でした。
でも、コロナ禍だと、あのサウナは狭くて密だから無理でしょうね〜〜あの時入っていてよかったです^^;