クロアチア・スロベニアの旅日記、24、モスタル旧市街
2016/09/09/10:00(Fri)
モスタル観光の目玉はなんといっても石橋のスタリ・モストです。


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美しいネトレヴァ川にかかる石橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争により粉々に破壊されました。
その様子のビデオは近くの情報センターで少しのお金で見ることができます。




ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言したのがきっかけです。
当時は約430万人が住んでいたのですが、そのうち44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していた。ボシュニャク人とクロアチア人が独立を推進したのに対し、セルビア人はこれに反対し分離を目指したため、両者間の対立はしだいに深刻化。独立宣言の翌月には軍事衝突に発展したのだそうです。

当初はセルビアが優勢で包囲網を築いたり、虐殺なども行われたのですが、アメリカの介入でNATOなども参戦して、更に泥沼化。セルビアがサラエボの非戦闘地域を砲撃したのをきっかけにNATOが大規模空爆をしてようやく停戦・・・・というのがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のごく簡単なあらましです。


この橋や周囲の歴史的な建物は、スペイン・スペイン、アメリカ、トルコ、オランダ、クロアチアなどが資金援助を行って再建されているそうです。スタリ・モスト橋の完成式にはイギリスのチャールズ皇太子も出席している映像があります。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を早期に解決できなかった(しばらく放置していた)罪滅ぼしなのかしらね〜〜ユネスコは、2005年にスタリ・モストと周辺を世界遺産に登録しています。


スタリ・モストはアーチ型の橋です。両端にはそれぞれ要塞となる塔があります。

橋をわたって旧市街の向こう側に渡るのですが・・・その前に、橋の入口の塔の前に沢山の人がたまり、中心にいる人がなにやらアジっています。

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水泳着の地元の人が橋の上からネレトヴァ川にダイビングするのを見せるから、お金を出すように言っているのです。
『彼らは失業者で、子どもたちを養わなくてはならない。命をかけて飛び込むのだから、お金を出して欲しい」というのです。

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彼らはもちろん体を鍛えたいわばプロで、どの場所が安全かも熟知はしているのですが、大道芸にしては高価です。
だから、グループでお金を出し合ってほしいと、観光客に訴えているのです。

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余談ですが、こんなこと簡単だと言って、自ら飛び込んで命を亡くす観光客も少なからずいるらしいです・・・実は川はとても冷たくて危険だそうです。

多くの人は、ダイビングの瞬間は見たいけれど、お金を出すほどではない。誰かが出した時に便乗して見たいなぁ〜〜というのが正直な感想です。

橋はこのように中心に向かって上り、逆に下るようにできています。

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橋から右側の景色

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橋から左側の景色・・先ほどランチを食べたレストランが緑の天幕の横に見えます。

橋を越えると、賑やかなお店がならんでいて、異国情緒(どこも外国だけど^^;)にあふれています。
元々、左岸と右岸でイスラム・キリストと分かれて暮らしていた経緯もあるらしく、紛争後にセルビア人がいなくなり、こちら側には、トルコ系やイスラム教徒が多く住んで、反対側はキリスト教徒と、住み分けがされているようです。


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ムスメがトルコで買ってきたスカーフにそっくり^^;

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小洒落たレストランもたくさん

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石畳というか・・丸みのある石の道

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この辺りもスタリ・モストの撮影スポットのようです。

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私もカメラを向けてみましょう

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どんな戦いも、『忘れてはいけない』のです!

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もう一か所、観光拠点となる『トルコ人の家』
高い塀に囲まれています。

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アメリカ人らしきツァー客とすれ違います。

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庭の石畳に、何故か亀

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川が見える一等地なのでしょう

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元の家主さんのようです。

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中庭の模様です。

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トルコ人の調度品はたくさんありましたが、この辺にして、
外に出ますと、

こんな砲弾の跡がまだ残る建物!!

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ここも!(拡大します)
1995年に紛争が終わり、2005年には再建されたスタリ・モストは世界遺産に登録され、さらに10年以上が経っているのに、いまだに!!
修復する費用が無いのでしょうね。

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元来た道を、橋の方へ戻ります。

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ダイビングの瞬間がこのときにチラッと見えました^^

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もう一度スタリ・モスト(↓拡大します)


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少しだけフリータイム。
ここでは、橋の破壊と再建の映像を1ユーロで見ることができます。

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当時の紛争の状況 (↓拡大します)

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橋の上ではダイビングの交渉がまだ行われているのかな?

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川岸に降りて、もう一度下から見上げてみます。

(↓ 拡大します)

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バスの待つ駐車場へ戻る手前。
新しい教会に寄ってみます。無機質的すぎて、私は落ち着かないです。

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これで、モスタルとはお別れ。 
今回の旅の中で、紛争の影響がいまだに残り、一番戦争を考えさせられた場所でした。





こことは場所は違うのですが・・・

前にも書いた、映画「ノー・マンズ・ランド」は、このボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材にしています。
無人地帯(ノー・マンズ・ランド)のボスニア軍側の交代要員兵士が、霧でセルビア軍の前線に迷い込んだところから、ややコメディタッチで始まるのです。
まあネタバレになるからこれ以上は書かないけれど、いろいろあって、国連防衛軍の外国人兵士やらなんやら関わって、マスコミも入って世界中に報道されたりするんだけど、結局・・・・まあ結末が強烈というか、(ノー・マンズ・ランド)と言う皮肉とものすごい無力感に打ちのめされるのです。

広大な土地での派手なドンパチは無いのに、国連の無力さやマスコミへの不信など、珠玉の反戦・ヒューマン映画です。
無力感に襲われるのは確実ですが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が、ひいてはすべての戦争がいかにバカバカしいのかを知らしめる面でもおすすめです。
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