先月の京都へ着いた夜に、友人の案内で祇園のお座敷バーに立ち寄りました。その時に、友人が嶋原に詳しくて、ひとしきり語っていたら、着物を着た綺麗なバーのおねえさんが「明日、吉野太夫の道中がありますよ^^」とひと言
さて、その夜に宿に戻ると、相方が熱を出してしまい、翌日は友人たちだけで出かけてもらうことに・・・でも、相方はひたすら寝ている。
ネット検索すると、10時から常照寺で吉野太夫の道中があるのを確認して、“お昼までには帰ります”と置き手紙をしてタクシーに飛び乗りました。
寺近くに着くと、もう交通規制が始まっていて、大急ぎ・・
凄い人出で、なかなか見えません。みんなが前に出てくるので、後方からは文句もでます
新聞社のプロカメラマンがすぐ隣にいましたが、それより装備もやる気もすごいカメラマンたちでいっぱいです(笑)

ようやく目の前に! 3人の太夫さんが歩いてきます。
衣装も素晴らしいですが、髪も豪勢です。三人三様で、それぞれ髪の結い方も飾りも違ってきれいです。この衣装と髪でパリに行ったこともあるそうです。

歩き方に特徴があり、足を大きく外側から内側に回してから着地・・ゆっくりゆっくり歩きます。太夫さんだけは素足に下駄ですが、京都の冬は寒いでしょうね

昔、嶋原の太夫さんというと、祇園とは比較にならないほど格が上だったそうです。
それも、お公家さん相手に遊ぶのですが、いわゆる遊女ではないので、芸事に堪能で唄に踊り和歌も詠むし、豊富な教養も必要だったそうです。

ホテルからのタクシーに、太夫道中の常照寺までと告げましたら、運転手さんが、吉野太夫さんがどういう方だったかを滔々と語ってくれまして、知識を持った上で、見るとまた格別な思いがします。

運転手さんの話では・・・
吉野太夫さんは三大太夫といわれる太夫さんの一人で、武家の出なので教養もあり容姿端麗だったそうです。お公家さんと競って身請けされた方が炭問屋の養子で,このことで親から勘当されたそうです。その親がある時、雨宿りで軒先を借りたら、中に招き入れてお茶でもてなしてくれた美女にいたく感動したと帰宅して話したら、それがかの息子の身請けした太夫と知って勘当を解かれたという話でした。
夫となる炭問屋さん自身も、前妻(死去)が本阿弥光悦の娘で、教養あふれ、皇室の方に蹴鞠を教える腕前で文武両道だったとか・・・・
お金持ちですから、お墓のある常照寺に門を寄進しているそうです。
京都の観光タクシーの運転手さんは素晴らしいですね♪

新撰組が出入りしてから、お客を祇園に取られてしまい衰退したそうですが、いまでも置屋もあり太夫さんもいらっしゃいます。男性の“ 高 ”という印は、「輪違屋(わちがいや)」さんという置屋の屋号のようです

常照寺では、吉野太夫の供養をしてからお茶会もひらかれ、前売り券を持っている方だけが中に入れます。当日売りもありましたが、お昼までに帰らなければならないから、ここで離れました。

一年に一回、四月の第三日曜日に吉野太夫の墓前供養(花供養)が常照寺で行われるので、隣の源光庵から寺まで太夫道中が行われるそうです。
たまたま、前日に嶋原の話を聞いて、バーのおねえさんから道中があるはずと聞き、また、相方がダウンして暇になり・・・こんな偶然の重なり合いで、これを見ることができたのも、良い出会いで、今回の京都の素敵な思い出になりました。
ホテルに戻った直後に、友人からお昼の誘いを受け、熱が下がった相方と一緒に食事に行きましたが、道中のことをすっかり忘れていた友人がとても残念がっていました。