ところが、この記事のためにお店を検索したら、3月末で閉店したそうです。初めて行ったのですが、再訪は叶わないようです。

さて、食後はこの辺りをぶらぶら歩くことになり、まずはもう一人が行きたいと言った、関口フランスパン本店
創業100年ほどで、明治中期にフランス人宣教師が職業訓練を兼ねて開いた老舗だそうです。日本におけるフランスパン発祥の店と言われています。
ニチバンのビル一階というかお隣でしたが、女性客で満員で、サンドイッチランチはお値段も手ごろで美味しそう
これから歩くのですが、思わずバゲットを買ってしまいました^^

関口は、左手に行けば椿山荘などの目白、右は音羽です。
とりあえず、散歩の最終目的地は文京区役所とだけ決めて、ぶらぶら歩きはじめます。
とにかく坂が多い町で、タモリさんが好きそう^^
まずは音羽、鳩山会館などを横目に見ながら、この日は歩くのが目的なのでパス
最初の坂は、鼠坂 鼠しか通れないなんていう由来らしいです。
森鴎外の「鼠坂」という小説の舞台だそうです。

登りきって見下ろしても、かなりの坂です。
通学路らしく小学生たちが歩いていましたが、この坂を毎日使えば、それだけで体力がつきそうです。

坂の上には住宅街が広がっています。
ひときわ素敵な緑と建物・・・拓殖大学の校舎の一つらしい
門衛さんに断って、門の中に入れてもらって眺めます。

この建物はお寺の雰囲気です。

拓殖大学というのは仏教系だったかなと思っていたら、台湾開拓への人材育成教育が目的の開校だったらしいです。
近くに「しばられ地蔵」というのがあるというので、探すのですが、なかなか見つからない。
数人いるところで聞いて、ようやくお地蔵様のある南蔵院は今は工事中だと聞きました。 あ〜〜れ〜〜

でも、建築中の間、お地蔵様はすぐ近くの墓地に移設してあるそうです。
しばられてますね〜〜由来は大岡裁きだそうです。
日本橋にある呉服問屋の手代が南蔵院の境内でうっかり一眠りしている間に反物を荷車ごと盗まれてしまいました。
調べに当たった名奉行、南町奉行大岡越前守忠相は、「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり、直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じました。

地蔵は市中引き回しの上、南町奉行所へ。野次馬たちがお裁きを見たくて奉行所内になだれ込むと、門を閉めさせて、「天下のお白州に乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料申附ける」の一声、奉行所にはその日の内に反物の山が出来ました。その中に盗品があって、江戸市内を荒らした盗賊は検挙され、越前守は地蔵尊の霊験に感謝し、立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行ったそうです。

それ以来、願をかけるときに縛り、願いが叶えば縄解きをする風習が生まれたとのことです。
12月31日には縄解き供養が行われるそうです。
由来書き(↓クリックすると拡大します。)

さて、しばられ地蔵を出てから、ざっとした方向だけ見当をつけて歩いてい行くうちに、塀の上にたくさん石仏が見えます。


この坂を上がっていくお寺、深光寺

境内に滝沢馬琴のお墓がありました。南総里見八犬伝は小さい頃に心踊るお話でした。

切支丹灯籠などもあるようでしたが、お仲間が上がってこなかったので、そそくさと戻ります。
ここは、茗荷谷。 茗荷谷駅からは少しありますが、ここが本来の谷のようです。

ここは緩やかになっていますが、それでも四方から下っている谷底らしいです。

再び坂を登って・・・住宅街をほっつき歩きながら
通常の観光地ですと、目的地を調べて歩くのですが、ここは行き当たりばったり・・・全ての道はどこかに通じるという気持ちでぶらぶら歩きです。

よくこんなところにマンションがとか・・、急坂だらけで、電動自転車必須かなとかバリアフリーの真逆だね・・・なんて、おしゃべり放題
そうこうしているうちに、石碑。切支丹屋敷跡だそうです。
昨日か一昨日ぐらいに、イタリア人宣教師らしい遺骨が発掘されたという報道がされていたのは、この辺りの事だったと思います。

この坂下の地下鉄のトンネルをくぐると、少し景色が変わって、賑やかになってきます。

歩道が地下鉄の下に掘られたトンネルって、ちょっと面白い光景です。
このあたりのメトロ丸ノ内線は地上を走っているようです。
この坂は「庚申坂」

広い通りにでて、これは、私が子どもの頃に一世を風靡した方の銅像ですね^^
日本指圧専門学校だそうです。

浪越 徳治郎さんの「指圧の心は母心〜〜」なんて、大きな声が聞こえてきそうです。
若い人たちは知らないでしょうね〜〜アフターヌーンショーなんかの時代でしたっけ?